それまでの常識を覆し、貧しい人たちに無担保で金を貸す。額は少ないが、それはやがて人々が自らの足で立つ貴重な礎となった。バン グラデシュの金融機関「グラミン(農村)銀行」と創始者のムハマド・ユヌス氏が、ノーベル平和賞を受賞する。
顛覆以往的常理,貧窮的人們無須擔保而貸款。金額雖然很少,卻是成為許多人自給自足的重要基礎。孟加拉金融機構「農村銀行」與創始者穆罕默德.尤努斯(Muhammad Yunus)獲得諾貝爾和平獎。
30年前、42世帯に計27ドルを貸したのが始まりだという。それが、約7万の農村で660万人以上に貸し付けるまでになる。このマイクロクレジット(少額融資)は、90年代には世界にも広がっていった。
據說起緣是30年前貸款給42戶共27美元。至今已貸款約七萬農村、六百六十萬人以上了。這樣的少額融資,90年代也在世界各地推廣。
どうやってこの革命的なアイデアを思いついたのかと問われ、答えた。「一般の銀行のやり方をよく見て、あらゆることを逆にしてみたんですよ」(『ムハマド・ユヌス自伝』早川書房・猪熊弘子訳)。
問道:「為什麼想出這樣革命性的想法呢?」,他回答:「想要嘗試一切與一般銀行相反的做法」」(『ムハマド・ユヌス自傳』早川書房・猪熊弘子譯)。
例えば、借り手を銀行に来させるのではなく、銀行側が借り手の家を訪ねる。バングラデシュのような保守的な国で女性の顧客を増やすには有効だった、という。「昔から、銀行で性差別が行なわれていた。銀行は女性には金を貸そうとはしないのだ」
例如,不讓借貸者來銀行,而是銀行到借貸者家中訪問。在像孟加拉保守的國家中,有效地增加女性的顧客。「從以前,銀行中就存在著性別歧視。銀行對於女性貸款是相當不願意」
一般の銀行は株主に高い配当金を払う。グラミン銀行は、借り手の人がローンで家を手にしたり、生活水準を向上させたりするための活動に励んできたという。
一般的銀行支付股東很高的股息。據說農村銀行是為了鼓勵借貸人們以分期養家、或是使生活水平提昇…等等的活動。
ユヌス氏は、米国に留学して経済学を修めた。71年にバングラデシュが独立した後に帰国し、大学で経済学を教えていた。しかし大飢饉(ききん)の惨禍に直面する。人々を救おうと教壇を去り、「貧者の銀行」を掲げて実践の道へ踏み出した。その経済の専門家の試みが、長い道のりを経て、平和の賞と新鮮な出会いを果たした。
Yunus在美國留學主修經濟學,71年孟加拉獨立後歸國,曾在大學任教經濟學。但是面對大飢荒的災難後,想要拯救人們便辭去教師職務,興起「貧窮銀行」念頭並開始實踐。經濟專家的嘗試,經過長時間與和平獎有了初次的果實。